『ダンス・ダンス・ダンス(下)』読了


ダンス・ダンス・ダンス(上)』から引き続き、ゆっくりとしたペースで『ダンス・ダンス・ダンス(下)』を読んだ。
とはいっても、いつもの事だがなぜか村上春樹の長編小説は後半の方が早く読み進んでしまう。
理由はいくつかあるだろう。


大きなところでは、長編小説がそれぞれ別の名前の書籍となっているものの、時系列的に書かれた小説が、次へとつながっているために、最初は登場人物やら背景やら何やら、それなりに(その小説から初めて読む人のために)簡単でも説明をしていることだ。すでに前の小説を読み終えている者にとっては、忘れかけた記憶を呼び戻せるというありがたみもあるが、それ以上に前の小説でおきた膨大な事を頭の中に再構築してしまう。
どうしても一つ一つ、それを読み進みながら確認したくなる.....そんな事からで、これはまた年代順に作品を読んできている者にとって、小説が一層のふくらみを持つという恩恵にあずかれることでもある。
そしてすっかり自分の頭の中に、『ダンス・ダンス・ダンス』のセットができあがる頃、その中にドアを1つ発見する。
それは自分で置いたこともないドア。
『あっちの世界』へいくドア。


つまり後半を読み出すのはこの『あっちの世界』へのドアを開けてしまったようなものだ。
時として『あっちの世界』へいこうとすると抵抗にあい、アドノブに手をかけたまま、身動きができなくなるような事があった。足先をちょっと踏み入れたままで、すぐ『こっちの世界』に戻ってしまう時もある。それは幼子が雪を生まれて初めて触る時のような感じで。『羊をめぐる冒険』を読んだ時はまさにそうで、そのためにかえって結末を求め焦って先を読み進めて締まったことがあった。実際のところ村上春樹の長編小説に答えはどこにも出てこない。キッチリとした結末もない。それは話がまだ続いているからだと理解できるようになったのは、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』を読んだ時からだった。
(偶然『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』を読んでいる最中、私はあることから非常に切迫した緊迫した状況で2日間を過ごしたために、突然そう理解できたのかもしれないが。)


話がそれかかったが、とにかく私は『ダンス・ダンス・ダンス』を実にゆったりと読む事ができた。焦りも苛立ちもなく、「僕」の姿を見続けることができた。
そして『あっちの世界』へのドアの存在も疑問に思うことがなかったし、すぅっと入って、すぅっと出てくる技も覚えたような気がする。まだまだ深入りはしていないが、『あっちの世界』にちょっと踏み込むことは快感に覚えるような気さえなってきた。

ダンス・ダンス・ダンス(上) (講談社文庫)

ダンス・ダンス・ダンス(上) (講談社文庫)