『峠』(中、下)読了
司馬遼太郎の『峠』、上、中、下全巻を読了した。
読了の記録はやはり読み終わって、言葉がるいるいと溢れてくるうちに書かなければだめだな、と痛感。
それでも、今回の『峠』再読は読み終わって一週間経過してもなお、有り余る感動が残っている。
まさに「心に残る一冊」になったのだろうと思う。
この本を読んだのは二回目。
最初は記憶に薄いが、たぶん高校か大学に入ってすぐの頃だったかと思う。
当時は三分冊の厚い本を前に「読み出したので、とにかく読んでしまおう。」という軽い気持ちだった。
読んだ印象も幕末のひとつの、しかもあまり知らない登場人物の物語程度にしか思わなかったから、今となって再読しはじめても以前読んだときの記憶はほとんど湧かず、むしろかえってそれが新鮮で良かったかもしれない。
今回『峠』を読み始めたのは4月も終わりのこと。
それから三巻を読了するまでなんと一ヶ月半も経っているが、これは司馬遼太郎の文章が読みづらく難航したわけではなくて、読む日・読む時を敢えて限定していたためだ。
例年、4月より週1度、東京から上越新幹線に乗り長岡まで通勤をしている。
この本はどうしても、その際車中からみえる中越の山々に臨み読み進めたかったのだ。
上巻の冒頭は、主人公河井継之助のすむ長岡藩城下の冬支度、そして継之助がわざわざ冬の長岡を発って、厳しい峠を越え江戸に向かうところからはじまる。
車中でこの最初の部分を読んだとき、今まで耳にしてた長岡の街の人達の声や様子、雪の積もった山々がよみがえり、司馬遼太郎の現す一言一言があまりにリアルに感じられた。
「これはこのあとも、こうして読むしなかい!」と衝撃的にその時に思った。
以来、毎週火曜日の往路、そして水曜日の復路に広げて読み進めていった。
この峠を継之助は何度越えたのだろう。
継之助は希望に燃えて峠を越えたときもあった、望郷の念もあっただろう、また、失意を隠しきれない重たい足取りの時もあった。
しかし、どんな時にでも、長岡から江戸へ、そして江戸から長岡へは峠を越えなければならない。
越後から会津へと逃れる最後にも峠をこえた。
文章で、峠を越えることは非常な困難を極め...とあっても、実際の雪山を見、そして峠を知るとその「困難」という文字はまるで自分が一緒に越えたような重たさをもってくる。
「八十里 こしぬけ武士の 越す峠」
徐々に情勢が悪くなり、戦いを拒めなくなってくる場面でも、また長岡や周辺の小千谷、戦場となった信濃川川沿い、峠、そして陣地。
地名をみると(たとえそこに住んでいないまでも)頭の中に地形や地図が浮かぶ。
奇しくも終盤、物語りはちょうど私の本を読んでいるこの時と同じ月を進む。
たまらなくなり、西軍と継之助が最後の交渉を行ったという、小千谷の慈眼寺まで訪ねてしまった。
(そのことはまた、別のエントリーで書こうと思う。)
今のようにインターネットや電話のような通信手段もなく、瞬時に敵味方の情勢が判らない当時、ちょっとしたタイミングの差が誤解や不運を引き起こす。
もし、会談に西軍、土佐の若い岩村精一郎ではなく、もっと思慮深い志士が臨んでいたらどうなっていただろう。
開戦となっても、藩主牧野忠訓がフランスに亡命をしていたら、どうなっていただろう。
歴史は変えることはできなくても、あのときの「もし」を考えると、今まで続いてきた歩みは奇跡のような1本の径だと思わずにいられない。
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『三国峠』
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