街の様相シリーズ〜2『東京砂漠?』

『東京砂漠』という歌をあるグループがビルの屋上で歌うCMが流れてから久しい。

歌詞内容からすれば、東京は人と人とのふれ合い、人情もない、枯渇した地のように思われ、実際に東京をよく知らない人たちは「東京=砂漠」と思いこんでいるようだ。
また、林立する建物や道路で、緑すらもないと思われている。


でも、私はそう思わない。


これは決して東京に本籍や住まいがある故の見栄や意地ではなく、本当にそう感じ、そう思うのだ。



たまたま混んだ電車にのり、降りた地で周囲を見回し、猛然と行き交う人の波の中にいて、自分がどこへ行けばよいかも判らなければ、それは孤独感とともに寂しさを味わうだろう。
でも、それは東京のせいではない。
逆に、私が見散らぬ土地へいき、降りた地で周囲を見回し、鬱蒼と茂る草地の中で、自分がどこへ行けばよいかも判らなければ、それは全く同じ気持ちになるだろう。


人と人のふれ合いの希薄さ?
それは東京に住んでいて味わうのではなく、東京へやってきたからだろう。
人はみな、自分と他人とが「関わりと感じる」ための「距離範囲」をもっている。
その距離範囲がやたらと広い人間が、狭い東京にきても「接することがない」、「ふれあう事がない」というのは当然のことだ。
もし、ふれ合いを望むなら距離範囲を変えなければならない。


都心には緑がない?
そうだろうか。
試しに、東京タワーでもいい、六本木ヒルズの展望階でもいい、汐留の電通ビルでもいい、
高い場所から足下を眺めて欲しい。
都心には皇居をはじめ、沢山の公園そして街路で緑濃い場所が沢山ある。
本当に緑の無いのは都心ではなく、むしろ都心へ向かうベッドタウン、円環状の密集した地域の方だ。


東京の、たまたま東京外からの人たちが多く集まるビル群の中や盛り場で、「ああ、東京砂漠」と叫ばないで欲しい。
SP(Standing Point)、そして自分のもつ人間関係の距離範囲を変えて見て欲しい。




東京には空があり、緑があり、海があり、そして.......
なによりも、常に刻々と変わっていく「シルエット」がある。