工場見学の記憶

日出(いず)る国の工場』を読んだあとに、本文中の「誰でも工場見学という経験がひとつやふたつあるのではないか」といった下りを思い出し、考えてみた。
当然、村上春樹とはしっかり年齢差があるのだが、たしかに今思えば言われている通り「工場見学」の記憶イメージは驚くほど繊細だ。


私の一番古い記憶は、小学校の6年の時に修学旅行でいった岡山の水島コンビナートの自動車工場だ。
当時は神戸に住んでいたので、修学旅行は姫路・岡山。姫路ではあの美しい白鷺城といわれた姫路城をみて、岡山では岡山後楽園。
そして、今であればさしあたり倉敷にでも行くのだろうが、当時は違った。
なにしろ、国の先端事業として、八郎潟干拓と同じくらい威信をかけて行われた児島湾埋め立てによる水島コンビナートがあったから、それを見せない訳にはいかなかったのだ。
見学にいったのは、コンビナート内にあった「三菱自動車」の製造工場で、それが大規模な工場の初めての見学だったと思う。


工場見学にはオキマリがある。まず、会議室のような場所で工場の責任者や案内の担当者のお話を聞く。
参考になるパンフレットをもらい、大雑把な工場の説明から見学の注意事項までを聞く。
その上で、はじめて工場内へどうぞとなる。
当時、工場内では軽自動車の『三菱ミニカ』が製造されており、車のドア部分が小さいクレーンで吊され、塗料のはいった桶にどっぷり浸かる様子を今でもよく覚えている。また、ベルトコンベアーの上にならんだパーツを揃いの制服を着た作業員の人が黙々と点検する様は子供ながらに機械の一部かと思う程だった。



わぁ、驚いた!
今でもまだミニカは現行車種として製造、販売中!


おっと、楽天は中古情報まで。
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話は逸れるが、社会の教科書にも必ず載っていたあれだけ推進された八郎潟干拓
いつの日か米減反政策で、手の平を返したように事業は収束。
今あの地はいったいどうなっているのだろう?
同じく、児島湾の干拓地は今でもコンビナートとして残り、機能しているのだろうか?
もしそうだとしたら、農業に絡む事業は衰退し、製造業は躍進し、それはまるで今の社会構成がなるべくしてなったという現状そのもの?