『ダンス・ダンス・ダンス(上)』読了


本当はもっと早く読みたかったが、身辺の細々とした事で長編を読む気力がないように思え、エッセーなどでごまかしてきた。
そして、久々に村上春樹の長編小説。


いままでにない程、ゆっくりゆっくり時間をかけて、この本を読んだ。
初めて村上春樹の長編小説を読んだ人、4年前に執筆された「羊をめぐる冒険」をまだ読んだことがない人にとっては、この上編を読み進めるのは余計な前提もなく、かえって楽かもしれない。
しかし、ほぼ初期の作品から(再読もふくめ)順をおって読んで来ている私にとっては、冒頭の、


よくいるかホテルの夢を見る。

夢の中で僕はそこに含まれている。つまり、ある種の継続的状況として僕はそこに含まれている。

このセンテンスだけで、まず長編の前作の「羊をめぐる冒険」の内容がよみがえり、何もないがらんどうのスタジオに、まるで一気にセットを組むかのように「僕」の状況が現れた。
その後(前作を読んでいない人のためにかかれた)いるかホテルやそこに滞在した時の簡単な経緯などを記した部分では、そのセットの中と文章を一つ一つ確かめるように読み進めてしまった。
村上春樹は前作を読んでから、この『ダンス・ダンス・ダンス』を読んで欲しいとはどこにも書いていない。それはそれで読者がもつ世界ができる。
しかし私は現に前作までのイメージを構築してしまっているのだからしょうがない。


それが、ゆっくりゆっくり時間をかけて読んだ大きな理由の一つだった。


もう一つが理由があった。
(これはきっとしばらく後のエントリーとして書くかもしれないが)先に読んでいた全く別の著者の小説に、途中で疲れ、放置していた。
その疲労感、不快感を一つ一つ消しゴムで消すかのように村上春樹の文章で癒したかった。


そして時間をかけて読み進めたことで、私は『ダンス・ダンス・ダンス』が札幌の町、東京、箱根、ハワイと飛躍する舞台にもかかわらず、常に「僕」をそばで見ている傍観者のようにすることができた。


電車の中、飛行機の機内、待ち合わせ時間まで駅前で、自宅で眠る前、ランチのあとのわずかなひととき.....
時間をかけたが故に実に様々な場所で、ごくわずかのページづつを読んだが、どんな環境でも、いつも同じスタンスで「僕」を傍観することができた。


下巻への道もすぐ続いている。
「僕」が上手に踊れるかどうか見届けなければならない。


ダンス・ダンス・ダンス(上) (講談社文庫)

ダンス・ダンス・ダンス(上) (講談社文庫)