街の様相シリーズ〜14『新横浜周辺』


私が学校をでて最初に就職をした会社でのことだから、もうどれだけ前のことだろう。
具体的な年月はやめるとして、10年を一昔とすればもう二昔に近い前のことだが、会社の施設立て直しやそれにともなうスペースの都合で、それまでいた武蔵中原の工場内から、新横浜駅付近のとあるビルへ一時的に移っていた事があった。
住まいからの通勤も遠くなったし、何よりたった一駅でも本数の少ないJR横浜線に乗り換えるということで、とても不便さを感じた。


調べてみると、東海道新幹線の新横浜駅開業は1964年(昭和39年)10月1日で、はじめて1日1往復の「ひかり」が停車するようになったのが1976年(昭和51年)。思ったより古くから駅はあったようだ。
これも以前のことだが、東急東横線の急行停車駅「菊名」から乗り換えがすぐ可能な位置になぜ新幹線停車駅を設けずに、わざわざ直行する横浜線1駅先に「新横浜駅」を作ったのかという疑問の答えを耳にした事があった。
要は大倉が堤に負けたということだ。
その証拠なのかどうか言明はできないが、今の新横浜駅周辺には西武系の施設が多い。


新横浜プリンスホテルのタワーが建ち、横浜アリーナができ、そして6年前にはサッカーワールドカップの開催スタジアムである、現在の日産スタジアムができた。イベント開催時には大勢の乗降客で混み合う。


だが、通っていた当時、駅周辺はわずかに中層ビルがたちはじめたばかりで閑散としていた。
冬は冷たい港北の風がふきぬけ、夏場はすぐ近くに広がっていたキャベツ畑の捨てられたキャベツの葉の腐る臭い。
第三京浜の料金所があり、出口付近には横浜の焼売「崎陽軒(きようけん) 」や派手な装飾のホテルのネオンサイン、それがこの街の印象のすべてだった。



いろいろと変わってきた新横浜の話はきいていたが、東海道新幹線での移動機会があまりなかったせいもあり、新横浜を訪れる事はまずなかったが、前日知人の結婚式に参加するために、ここを訪れ、宿泊をしたホテルからの眺めをカメラに納めることができた。


夕暮れ時、19階から西の方向に富士山と丹沢山系を臨む。
翌朝は一時的に強い雨も降ったが、その前触れともいえる傘雲が何層にもかかっている。



42階のバーから。
南から南南東の方向に、横浜港、横浜ベイブリッジ、みなとみらいのコスモクロック、ランドマークプラザなどが臨める。
夜景であるが故に手前は灯りがともっているだけで美しいが、実際にはこの篠原口方向は、JR横浜線を境界に、区画整理された市街と対照的な古い住宅地とキャベツ畑が連なる。




カクテルの似合う夜景の街ができるとは、当時思ってもみなかった。