街の様相シリーズ〜18『日中の仲見世』


なぜに「日中」とつくかといえば、頻繁に浅草を訪れても、それはたいてい一献のお約束で、いつも夕刻か夜。
浅草寺をお詣りし、その後に赤い提灯を目指して進むのだから、仲見世の上空に青空をみることが滅多にないためだ。


眩しい光のコントラストに、仲見世の各店も行き交う雑踏も暗く、ひときわ青空が映えていた。



つい最近まで、「本堂落慶50周年記念大開帳」(平成20年10月15日〜11月16日)で、「浅草寺お前立ちご本尊の御開帳」があったそうだ。
50年前の昼も、こうして青い空のもと、人々は落慶した本堂へ足を運んだのだろうか。


そういえば東京タワーも、12月23日で開業50周年を迎えるそうだ。
街の中のいたるところで、新しい息吹のようなものが聞こえていた時代だったのだろうと思う。