桜の花はひどくひどく残酷だ


今年もまた桜の花の満開の季節がきた。
例年より早く21日には東京の桜の開花宣言が出されていて、本来なら3月末には見頃のはずだったのに、開花宣言の翌日からずっと寒の戻りで寒さに震える毎日が続き、「明日からは気温も平年並みになるでしょう」という予報も外れつづけ、やっと昨日あたりから日中の気温が上がりだした。
2週間近くたって今ようやく満開だ。
寒さのあまり、開花宣言の頃にうっかり開きかけた花は、花ごと落ちてしまったものもあり、早く咲き出した樹は心なしか花の密度が低くて寂しい。



この時期になると、本格的な春の到来の喜びと反面、なぜか狂おしいほど悲しくなる。
ひどく感傷的になる。
もともと日本人が桜に対して抱いている特別な感情の他に、さらに自分がもつ桜の花への感情が影響しているのだろうか。
それとも桜の花のもつ狂気が影響しているのだろうか。


今年の桜の花をみなければならない、もし見ないまま何かがあって死んでしまったらどうする?!
そんな焦燥感。
この花だからこそ、独りではなく一緒に愛でたい、けれどそれが敵わぬ、
そんな絶望感。


なのにどんなに私が悲しもうと、憔悴しようと、桜は毎年咲き続ける。
桜の花は残酷だ。






去年の桜は3月27日にはもう満開だった。

梶井基次郎の短編小説『櫻の樹の下には』ではないが、満開の桜の花の下にたたずむと、心がザワザワし始め、そして不思議な狂気が感じられる。

The first anniversary of my weblog


そして、3月29日にはもう散りだしていた。

近所の小学校の桜は、早くももう散りだしていました。
風が吹くたびに、はらはら.....と、数十枚ずつの花びらが目の前に舞い落ちてきました。

花の命は短くて