『1973年のピンボール』

初めて読んだのか、すでに昔読んだことがあったのか......
時として記憶のあやしい村上春樹の小説。
おそらくこれは初めて。


1973年のピンボール (講談社文庫)

1973年のピンボール (講談社文庫)



第一作目『風の歌を聴け』を読んで、「キーワード」に触れたが、この本ではいきなり登場人物の「鼠」と「ビール」がキーワードとなって出てくる。
前作からの続編といえばそうに違いないが、かといって前作を理解しておく必要もない。
勝手な断言をしてはいけないが、ストーリー性そのものを重視した小説ではないからだろう。



今回、次の2つのセンテンスを記しておかないといならない。
そして、いつの日かのために、このエントリーにもつなげておきたい。

入り口があって出口がある。大抵のものはそんな風にできている。

物事には必ず入り口と出口がなくてはならない。そういうことだ。


周辺のさまざまな事象にある「Input」と「Output」。
入り口を通り「Input」された事象は、ある「ボックス」*1の中を通り、やがて出口から「Output」される。

その間にあるものは、たとえば高架水槽からキッチンの蛇口に至るまでの上水が、経路的に多少のエルボや弁を経由したとしても、本質が変わらないまま流れ着くようなストレートなボックス。
あるいは、酒造所の酒蔵で米、水、麹を加え、発酵という複雑な変化と時を経て、本質が変化し最後に日本酒が絞り出される日本酒のような複雑なボックス。

しかし、いくらどんなに複雑なボックスであっても、これらは「物質」だけの変移・変体であって、手順をふめばボックスの中を明記するのは簡単な事かもしれない。


ところが........


同じ「Input」と「Output」というポートを持ちながら、おいそれとは表す事ができないボックスがある。
人間の五感による「Input」、そしてそれを画像・映像として表す「Output」。
この間に存在するボックスは特殊なインターフェースとプロセスに満ちている。
知覚や感覚をどうやってボックスに取り込むか。
そこにどうやって過去の経験や想像や認識を加えて処理をし、さらにどうやって物理的な表現を可能にして「Output」に導けるのか。


すっかり『1973年のピンボール』の本題とはそれてしまったが、この物語はどうしてもそれを考えなくして、過ぎる事ができない。





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次はお約束通り「羊をめぐる冒険」(上)(下)を読まねばならないのだろうなぁ...

*1:(ボックスというと、単純な1つの箱をイメージするがここではさまざまなパターンの複雑なシステムまで総括して、単にボックスと呼んでいる。それはその時の視点により詳細度をかえて見なければならないLOD(Level of detail)だから)