『ウォーク・ドント・ラン』読了


なんとこれは、『村上春樹』と『村上龍』という、ダブル村上の対談集。
対談は1編が 1980年7月29日に、もう1編が 1980年11月19日に行われたものとなっている。
村上春樹が1949年1月生まれ、村上龍が1952年2月生まれというから、それぞれ31歳、28歳の時の対談だ。
同じ年の頃に自分が何を考え、何をしていたか、それを思い出すと複雑な心境になる。


「なぜ小説をかくのか」「小説家という職業」などといった共通のテーマから、
「『ブルー』から『コインロッカー』まで」「『風の歌』と『ピンボールの世界』...といった各自の作品の背景に至るざっくばらんな話の展開がおもしろい。


初期の二人の作品を読んでいる人には、「なるほどね...」と思える会話が多く楽しめるし、二人の作品を読みつづけている人には、二人の作品の根底がわかってなかなか興味深いはず。


小説を書くことについて、
村上龍は「自己解放」といい、村上春樹は「自己改革」だという。
しかし、「どっちにしても自己表現ではない」というのが二人の見解だ。


当時と今ではすでに27年もの時が経ち、二人の小説に関する考えは違ってきている部分もあるかもしれないが、少なくても初期の作品を読む時の、手がかりになる。


村上龍の作品はあまり読んでいない私にとっては、村上春樹の言葉がとても印象深いが、

映画の影響、映画のようにシーンごとにとっていく、それを後で編集する。

比喩は考えると面白い

なるほど....と膝をポンと打ちたい気持ちだ。



ウォーク・ドント・ラン―村上龍vs村上春樹

ウォーク・ドント・ラン―村上龍vs村上春樹




ところでこの本は図書館の開架には無かった。
書庫の中の蔵書となっていて、図書館特有の表紙をすっぽり包む透明なシールカバーがあるにもかかわらず、かなり疲れた本になっていた。






なにより、裏表紙をあけて、そこにこれを発見して、嬉しくなった。




ああ、なんと懐かしい!
年に300冊は軽く本を読んでいた中学生時代を思い出す。
妙に西日の差し込む貸し出しカードボックスのあるコーナーだった。
外からはサッカー部の練習の声が聞こえたり、ちょっと湿った図書が貸し出しの手続きをする間に机の上で乾くときの香りがよみがえる。


インターネットのない時代、この紙のカード一枚が私に、古典やファンタジー、行くことのできない世界の情景、そして未知の世界の配給を約束してくれた。