『村上春樹、河合隼雄に会いに行く』読了 (その3)
(その2の続き)
対談の直接的な内容とは離れるが、一通りこの本を読みながら「個」のあり方から「物語を書くということ」、「コミットメント」... こういった事を二人の流れに乗りながら考えていくと、自分のあり方として裏打ちされるような結論のうちの一つがでてきた。
それは
『人のはなしを聞く』ということ
「人のいいなりになる」「人に従う」という意味ではない、「人の口からでる言葉を聞く」「言葉を受け止める」ということだ。
物語を書く、文章を書くことで人は癒されるというのに、これは癒されるどころか相対する全く逆のことで、癒されるどころか人の憂いまで背負い込みかねない。
それでも
『人のはなしを聞く』ということ
だ。
文章をあまり書くことが(でき)ない人が、もし癒される道があるとしたら、それは文字として表すかわりに口から言葉を発することだろう。
それをとにかく聞くという所行だ。
いままで少なからず、意図していないのに自然とそういう立場をとることも多かった。現に私にひたすら話しをしたい、私に話を聞いて欲しいだけ、、、とう人達が何人もいる。
ただ、それによってどういうことが起きているのか、自分の心の奥底では理解できなかった。
それがこの本の中の河合隼雄の言葉を読み「むずむずがほぐれていく感じ」を覚えて、「ああ、このことか...」と掌の上に載せて見ることができた気持ちになれた。
河合隼雄はとにかく人の話を聞く、聞いてその人の思いをつかむ。
どんどん話をさせることで、可能性を知らず知らずのうちに相手に見いださせる。
「むずむず」をほぐす。
『人のはなしを聞く』ということ
で、癒された人の「魂」*1、つまり「物」どうしを結びつけることこそが私の使命なのかもしれない。
たまにはこういう大袈裟ないい方をかいておこう。
- 作者: 河合隼雄,村上春樹
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1998/12/25
- メディア: 文庫
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*1:その2の引用参照、「このときの「もの」は西洋の物質とはまったく異なり、事物から人間のたましいまでも含む広範囲にわたる存在である。」