「読まなきゃ良かった」と思った本『スナップ写真のルールとマナー』


タイトルで誤解されそうなので最初から補足をすると、「読まなきゃ良かった」というのは読んでつまらなかったり、不愉快になったためではない。
読んだことで、知りたいと思っていた事以上に考えないとならない事があると判ったのと、不明だった事がますますややこしく困惑したからだ。


カメラが好き、写真撮影が好きという趣味を持つ人であれば、以前から多少は疑問に感じていたことがあると思う。
それは「肖像権」。
例えばある観光地の名所でカメラを構え写真を撮ったとする。どこでもいい、例をあげれば先日私がいった室生寺でも良い。
そこは多くの人が集まる場所、自然と写真の中には他の観光客や参拝客が写りこむ。ある人は背をむけ、ある人は姿は小さいながらも前を向いている。
この写真をblogに載せてよいものか?
実際、何枚かそういった写真を載せている。


もし撮られた人に対し、了解を得るとしたら、それは大変なことになる。まず不特定多数のこの人達を探し出し、自分のどういうblogに掲載するかと言うことを説明し了解を得ないとならない。写真の中の1人でもNGであれば、それはモザイクで判別できないようにするか、写真そのものの掲載をあきらめないとならない。
一般に公の場所、公園や道路ではいりこんだ人の姿は肖像権を主張できないと考えるようだが、それでも状況によってはそれを簡単に当てはめることができない場合もある。また、自分が趣味で撮っているのか、プロカメラマンでその写真によって報酬を得るのか、など、様々な要因が絡み、判断はますます難しくなる。


「撮影時には了解を得て」が一番すんなり行くのだろうが、1人または数人を至近距離からモデルとして撮影する以外、そのことを考えると何も撮ることができなくなってしまう。まさにこの本を読んだ時、脚に錘をつけられたようなそんな感覚になった。


実は「この本を読んでおかないと」と思った理由は、自分のblogの写真についてどう考えたら良いかを知るためだけではなかった。
私の仕事のクライアントさん達の多くや、自分自身は建築関連のCG制作をしており、特に「建築パース」とよばれる完成予定図を手で描いたり、パソコンのCGソフトを使って生成したりする。その際に「添景(点景とも)」と呼ばれる、車や人間、樹木といったパーツを合成することが多い。それは建物だけでは場の雰囲気が出せないことと、実際に建物のスケール感を正しく見ている人に感じ取ってもらうためだが、その添景は街中に出向いて撮ってきた写真を使うことがほとんどだからだ。
例をあげれば、建物の前に公園があったとする。その建物は公園があり人々が憩う場にあるという事を示すために、公園内には遊ぶ子供や散歩をする老人、デート中のカップルなどを入れるわけで、そういった人物添景はすべて同じ人という訳にはいかない。
では実際公園へいき撮ってきた写真をそのまま貼り込んで良いのだろうか?
これも状況判断が難しい。


いままで単純に「顔がみえ、相手が誰であるかの特定の可能性がある場合は、そのまま使用しない。」という自分なりの判断基準をとりあえずはもっていたのだが、この本を読んでいくとそれだけではなんとも...なのだ。
結論はない、ただ1つはっきりと判ることは法的云々ではなくモラルの問題で「写真を撮るという行為で相手が不快にならないこと」。
それだけは最低限押さえておかないとならないだろう。


最近はカメラだけではなく、携帯電話のカメラなど自分が撮られているかも判らないような状況での写真や、大きなカメラでない携帯電話だからいいだろう、という感覚で相手を不愉快にさせてしまう機会も多くなったと思う。
プロ、アマを問わず、そしてblogやHomePageを持っている人は勿論、そうでなくても機材を選ばず「写真を撮ることができる」人(今、外をあるいている人の大多数にあたる)は一度この本を開いて目を通すと良いと思う。
その結果、私のように「読まなきゃ良かった」という気持ちに陥る人もいるだろうが・・・・・それは私が心配することではなさそうだ。


スナップ写真のルールとマナー (朝日新書 063)

スナップ写真のルールとマナー (朝日新書 063)