大和路塔巡り(その4)『夜の塔』

数日あきましたが、10月28日大和路塔巡りの続きです。


室生寺をあとに途中、お弁当をたべたり、葛きりのおやつを食べながら、車は飛鳥へと向かいました。方向的には西へ向かうので進む正面には太陽が。この時期の日没はどんどん早くなっていきます。飛鳥に行き着く前に日が沈んでしまうのではないかと焦りました。飛鳥ではまずなんといっても「石舞台古墳」これをみなければ....
ところが「犬養万葉公園」までは辿りついたものの、そこから先、どういけば「石舞台古墳」があるのか判らず、焦りながらも時間が経過。ようやく公園脇の駐車場にとめて「石舞台古墳」のサインのある方に進んでいくと様子が変です。
お寺のように入り口に小屋があって門が閉まっているのです。
私はてっきり広い公園の敷地内に、ドンと巨石が置かれているのだとばかり思っていました。
なんと「石舞台古墳」は入場料250円で8:30~16:45という観覧時間まで決まっているのでした。


そのためにわざわざすぐに奈良方面に向かわず、飛鳥へきたのにああ、残念!
しかたなく、そこから一路北北西に進み、斑鳩(いかるが)を目指しました。斑鳩奈良時代にさきだち、飛鳥時代に栄えた聖徳太子ゆかりの地。法隆寺にはやはり高校の修学旅行での思い出が残ります。
途中、時間的にやや渋滞の道路で、思ったより時間がかかり、法隆寺付近に到着したのはもう8時近くでした。今回御案内いただいたM本さん曰く、「もうこの時間ではどこのお寺にも入れないから、友達の家にでもいくか。」
そういって、そのお友達の方のお家を訪ねたのですが......


行った先はなんと「法隆寺」でした。
遅い時間に、しかも突然お邪魔したのに、おうすとお菓子を出してくださいました。




その後、御自宅から出て法隆寺境内の正面、南大門から中門までの間を見せていただきました。
この広い通路は高校時代の記憶そのままでした。真っ暗な中、ほんのわずか通路脇にともる灯りの中、肉眼には静寂さと荘厳さがひしひしと感じられました。



中門の向こうには五重塔と金堂があるのですが暗い中、肉眼でも塔はシルエットでぼーっと見える程度です。
カメラにおさめるには、三脚をたてシャッタースピードを落として撮らないかぎり、綺麗には写りません。
それでもと、カメラの感度をあげて、シャッタースピードも1/8までおとして、息を止めてじっとカメラを持ちましたが、やはり限界ですね。




さらに車で奈良へ移動。法隆寺から少しのところにある『法起寺』の脇の道を通りましたが、どうも塔がよく見えないため、さらにまわりこんで『法起寺』の外周の壁際で撮ってみました。
やはり真っ暗、背後の民家のあかりで手前の塀ばかりが明るく写ってしまいます。
ここの塔は三重塔で、国内にある三重塔の中では一番古いものだそうです。



さらに車はずるずると渋滞のある道を北へと『薬師寺』までやってきました。ここも道路をはしりながら2つの塔(東塔、西塔)を樹木の隙間から見ることはできるのですが、なかなか写真を撮るのに良い場所がありません。せっかくライトアップをしていても、境内には夜は入ることができないので、外側から見るしかないのですが、残念ながら良いポイントはありません。
(東京に戻ってきてから調べたところ、西側の七条大池付近からであれば、金堂、そして2つの塔を見ることができると知りました。)


ようやく南側で一カ所、かろうじて塔の上部がみえる場所で写真を撮りました。
写真は東塔のほうです。薬師寺の大きな塔は実は三重塔。裳階(もこし)という部分があって、 この写真は遠景で判りませんが近くで全景をみると見た目は六重にみえます。



時間もかなり遅くなり、ホテルにチェックインが遅れる旨の連絡をしつつ、さらに北上。
道端の店や民家が突然途絶え、荒涼とした空き地が見えたと思うと、その奥にライトアップされた朱雀門が現れました。
この有様はまるで都が廃れてしまった跡に残された門....まるで何かが取り憑いて、人の目をひきつけうよとしているかのようで、手前に揺れるススキの穂がいかにも寂しげでした。





大和路塔巡り(その5)『彼らの好きな居酒屋メニュー』に続く。