街の様相シリーズ〜11『柳橋界隈』

JR浅草橋駅から江戸通りを少し南へ。すると神田川にかかる浅草橋がある。その橋の上から東手、つまり隅田川との合流地点を眺めると、そこには神田川で一番下流の橋「柳橋」がある。特に夜には緑色にライトアップされているので、判りやすい。




かつては花街であったこの界隈、昭和の初め頃までは沢山の料亭や船宿があったという。今はその名残で、神田川沿いに数軒の屋形船の乗り場が残る。
また、当時は遊里吉原への足としてここより船に乗り、山谷堀を経て通ったという。


柳橋のたもとにいくと「亀清楼」(かめせいろう)という看板でる茶色のビルがある。(上の夜景写真では橋の左手にある黒っぽいビル)
ビルの上はマンションになっているようで当時の姿は偲ぶべくもないが、江戸の時代から残る唯一の料亭に違いない。


橋の南側には石碑があって、2つの俳句が刻まれている。いずれも正岡子規による。


春の夜や女見返る柳橋

贅沢な人の涼みや柳橋


どちらも当時を思い馳せれば、なにやら意味深な、そして風情ある句だ。




柳橋




『山谷掘』



今は掘という形で残っていないが、地図を航空写真(SATELLITE)に切り替えてズームアップしてみると、掘のあとは緑地の帯となって、当時の吉原方面へ北西に延びているのが判る。その掘の堤が「日本堤」。



柳橋から山谷掘へ、地図をスクロールして辿ることができる。
当時でもこの一帯から浅草方面への道はあっただろうが、柳橋で船にのり、大川(現在の隅田川)を遡り、山谷掘に入って遊里へ通った訳は何だろう。善男善女で賑わう浅草寺周辺は通りにくかったのだろうか?





『亀清楼』

いまや、「ぐるなび」にも載っていた。