ああ、長岡『関原酒造』が火災に!


なにげなくアクセス解析を眺めていたら、普段からも酒造会社さんやお酒の銘柄といった固有名詞での検索結果からblogにみえる方が多いのですが、今日にかぎって「関原酒造 火災」という検索が多数。
いったいどうしたのかと思い、その検索結果元をみてみたら、日刊スポーツ誌のサイトに次のような記事を発見してしまいました。

新潟の日本酒「群亀」貯蔵倉で火災記事を印刷する
 20日午前8時ごろ、新潟県長岡市関原町の関原酒造で、日本酒の貯蔵倉から出火、木造2階建て約2300平方メートルのうち約1900平方メートルを焼き、約4時間後に鎮火した。けが人はなかった。
 長岡署によると、貯蔵倉には高さ約2・5メートル、直径約2メートルの貯蔵タンク約50本があり、約10本に酒を貯蔵。出勤した男性従業員が出火に気付き、119番した。同署などが原因を調べている。
 関原酒造は1716年創業の蔵元で、「群亀」「長岡藩」などの銘柄がある。
 [2008年3月20日14時16分]

http://www.nikkansports.com/general/news/f-gn-tp0-20080320-337873.html


また少ししてから、新潟日報でも、


長岡で酒造会社の貯蔵倉火災


 20日午前8時ごろ、長岡市関原町1の酒造会社「関原酒造」(飯塚正人社長)から出火、木造2階建て貯蔵倉1934平方メートルを焼いた。出火当時、貯蔵倉は無人でけが人はいなかった。

 同社などによると、貯蔵倉は築約300年の土蔵や、瓶詰め作業に使っている築約80年の建物などがつながっており、全体で2265平方メートル。出勤して別の建物にいた従業員らが火事に気付き通報した。市消防本部のポンプ車など19台、消防団の車両17台が消火作業に当たった。

 貯蔵倉内には日本酒約5万リットルが入っていた貯蔵タンク50基や瓶詰めの機械、ベルトコンベヤーなどがあった。

 飯塚社長は「ご心配をおかけして申し訳ない。貯蔵倉は火の気がなく、原因はまだ分からない」と話した。

 住宅が隣接する同所の無職山田栄子さん(73)は「もくもくと煙が上がって、火が移って来ないか心配だった」と話した。

 同社は中越地震後、近くの仮設住宅に避難していた山古志地域の住民を支援するため「山古志復興応援の酒」を今月8日まで3年間製造・販売し、約360万円を山古志地域復興基金に寄付した。住宅再建した同市山古志東竹沢の会社員藤井徹さん(49)は「仮設では(同社に)物心両面でお世話になった。火災は残念としか言いようがなく、早くまた交流できるように再建してほしい」と話している。
新潟日報2008年3月20日

http://www.niigata-nippo.co.jp/pref/index.asp?cateNo=1&newsNo=108912

関原酒造といえば、すこし前に「群亀(ぐんき)」というお酒のことで言及したばかり。驚きました。


貯蔵庫2,300平方メートルのうち1,900平方メートルを焼失という事は、大半が焼けてしまったということ。
昨年秋に仕込んだお酒で、これからの出荷用のものをはじめ、もしかしたら古酒もあったのかもしれません。
今年の秋の仕込みがあるまで次のお酒はもうないかもしれません。
秋口のおたのしみ「ひやおろし」も今年は出せないのかも....
いや、それどころかこれからの酒作りが続けられるでしょうか。


会社もですが仕込みをした杜氏の方はさぞ辛いでしょう。
状況が気になりますが、関原酒造のサイトは(勿論それどころじゃないでしょうけど)まだ未更新です。
享保元年(1716年)の創業以来、大戦や大地震などいろいろな事にあっても、1日も休まずに酒造りをしてきたという関原酒造のこと、朝の出火で今日はどうしているでしょう。
この蔵元の誇りでなんとか酒作りを続けていけるよう、被害が少しでも少ない事をただただ祈るばかりです。


(追記)

「事務局きまぐれ日記」さんで写真を発見。
http://e-sakeouendan.jugem.jp/?eid=191


(翌日の各紙ニュース)
関原酒造の火災、その後  へ。




関原酒造株式会社


http://www.sake-sekihara.com/
長岡市関原町1丁目1029-1
TEL:0258-46-2010
FAX:0258-46-6519