何がしたい、マスコミ。何がしたい、疑似マスコミ?


なによりもまず、亡くなられた方々のご冥福を心からお祈りいたします。


昨日の秋葉原での痛ましい殺傷事件。
TVではこれとばかり、各社が現場中継をし、道行く人の声を聞き、そして捕まった犯人の周辺を探偵よろしく洗いあげて、まるで1つのミステリードラマのように仕立て放送している。
現場の様子はともかく、道行く人の声はいろんな声があれど、放送局の筋書きに都合良い声だけを放送すれば良い。犯人周辺像も造り上げたい像に都合よいものだけ取り上げて放送すれば良い。
毎度、事件や惨事が起きると、こういった造り上げられた筋書き通りの放送が目について、不愉快なので私はほとんどTVを見ない。


一方で被害にあった方をとりあげるニュースもあった。

2008/06/09-13:32
「誰からも好かれてた」=武藤さん悲報、広がる悲しみ−秋葉原通り魔事件
 「誰からも好かれていた…」。死亡した大学生武藤舞さん(21)は音楽好きで知られ、希望通りの就職先も決まっていた。武藤さんの東京都北区のマンションでは8日夜、住民らが突然の悲報に声を詰まらせた。
 中学の吹奏楽部の後輩という高校3年畑山陽子さん(17)は伏し目がちに「演奏会に来てくれた。舞さんはフルート担当で、顧問からも好かれていた。会えば笑ってあいさつしてくれたのに。ショックです」と話した。
 50代ぐらいの夫婦は「あいさつをきちんとする子。元気が良かった」と声をそろえた。
 ある男性は「優秀な子で、小学校の運動会で代表して優勝旗を持ったりと活発だった。かわいそうで言葉が出ない」と語った。【時事通信社

http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2008060900019

一瞬、このような言葉を聞くのは犯人像の意外性でも揚げているのかと錯覚してしまった。
お亡くなりなった武藤さん、そして家族の方々の無念さは想像を絶するものがある。
そんな中、そこへきて武藤さんの人間像を洗い出し、「誰からも好かれていた」「優秀だった」という事をあげつらう必要がどこにあるのだろう。
何のためにこのインタビューや状況報告が必要なのだろう?
穿った考え方をすれば、もし被害にあった方があまり近所評判のよくない静かな方であったら、話題にならないのか。


おまけに知人の話から、「昨日の現場では、救護にあたっている様子や現場を遠巻きにした野次馬が、みな携帯電話のカメラで写真を撮っていた」というニュースがあることまで聞いた。

現場を携帯電話で撮影する人々=秋葉原
秋葉原で起きた殺傷事件の現場を携帯電話のカメラで撮影する人々(8日午後、東京都千代田区外神田) 【時事通信社

http://www.jiji.com/jc/p_archives?id=20080608211852-6276594


一体なにがしたいのだ!?


こんな記事も見つけてしまった。


秋葉原通り魔:容疑者の逮捕・連行を携帯で撮影


大勢の通行人らが刺された通り魔事件で、現場で警察官に取り押さえられる加藤智大容疑者=読者提供
 今回の通り魔事件では、容疑者の逮捕・連行写真を携帯電話で撮影した人の周りに人だかりができ、自分の携帯に赤外線送受信でコピーする人たちが目立った。
 目撃情報を集めていた記者は、通行人の女性から赤外線受信で写真を入手。この女性も、逮捕現場にいた別の女性から赤外線受信でコピーしていた。2人は他人同士だった。
 女性によると、現場で直接写真を撮影した男性が「捕まったぞ」と叫ぶと、周囲には携帯電話を差し出し、「コピー」を求める人だかりができたという。【神澤龍二

http://mainichi.jp/photo/news/20080609k0000m040022000c.html

「こんな美味しい物を食べた」、「こんな楽しい観光地にいます」「有名人がいました」というのとは甚だ違う。
人の最悪の不幸の場面を撮って、それをどうしようというのだろう。
その画像が誰でもかれでもマスコミ関係に売れる訳でもない。
「現場を撮る」こと、マスコミの影響ですっかり勘違いをしていないだろうか。