春の讃岐うどん&こんぴら歌舞伎行脚その3『鬼無(きなし)〜桃太郎と鯵タタキの謎』


(春の讃岐うどん&こんぴら歌舞伎行脚その2『屋島に登る』より)


屋島からおりたあとは、知人を交えて4人で一献の予定ですが、時間がまだ早い、かといってホテルにチェックインするには時間が足りない...ということで、前々から気になっていた『鬼無(きなし)』というところへ連れていっていただきました。
とはいえ、ここが案内をしてくださったT雲さんの地元で、夜の一献もこちらであるのです。


さて、この『鬼無』、文字通り、鬼が無い.....そうです、桃太郎が鬼退治をしたので、鬼がいないそうなのです。
その桃太郎の出身がここ、『鬼無』だとか。
桃太郎の舞台は諸説あるようで、Wikiをみれば吉備国岡山県)のようです。

有力説の一つとしては、第7代孝霊天皇の皇子彦五十狭芹彦命(ひこいさせりひこのみこと、吉備津彦命)、稚武彦命(わかたけひこのみこと)兄弟の吉備国平定における活躍と、岡山県吉備国)の温羅(うら)伝説に由来するものとする説がある。

桃太郎


他にも実は桃太郎は女だったとか、桃を食べた老夫婦が急に若返って子供(桃太郎)を生んだとか....
沢山の話題があるものの、なぜか『鬼無』の文字は一言もでてきません。


屋島展望台からの写真をもういちど。
目前にみえる女木島が鬼ヶ島と云われています。そして岡山は写真のおくにうっすらと見える位置。
高松から船で20分ほどのこの女木島が鬼ヶ島であれば、犬、猿、雉を引きつれて船で退治にでかけたのも、鬼無からほど近いここ高松付近からではないかと思いたくなります。



さて、その鬼無には桃太郎の生家跡すらないものの、「桃太郎神社」があります。



狛犬の脇の石碑には「熊野権現 桃太郎神社」と刻まれています。



鳥居左脇には「桃太郎の凱旋」という、退治した鬼から奪った宝物を意気揚々と持ち帰る桃太郎一行のレリーフ
そして「桃太郎伝説」の石碑。




さて、遅咲きの桜並木をみながら、頃良い時間となったので、向かった先はT雲さんの御自宅のすぐそば。
まだ暖簾も新しい『居酒屋 弥吉くん』。
あとでトイレにいくのに、店の奧から一体外にでた際気が付きましたが、お隣はうどん屋さん。
そこの息子さんの仕切る店だったのでした。



カウンターとまではいかないものの、独りで呑みにきても店の人の顔がみえ、話がでできる堀切のある席。
床もテーブルも木を使った暖かい落ち着きのある店内。



料理も気取らず皆で箸を出して食べられるものが多く、数人で話を弾ませながらの一献向き。
一つ残念なことをいえば、せっかくの料理にあったお皿がもうすこし種類多く用意されていれば....。
山芋の千切りも、ポテトサラダも、枝豆も同じ小鉢ではちょっと寂しいですね。
やはり見た目も味のうちなのです。


お酒はT雲さんの差入れの徳島は三好の『芳水』、そして店のお酒は香川は琴平の『金陵』。



さて、この『鬼無』での不思議の2つめはこれ。


実はいろいろな御料理をいただきながら、「今日は鯵がいいのがあります。」という声をきき、
お隣の席のMさんと「それじゃ、タタキにしてください。」と頼んだのです。
「タタキですか? あー、ちょっと時間かかりますが、いいですか?」
妙なこというなぁ、でも忙しいのかも、と思いながら呑んでいると、出てきたものがこれ。
なんでしょう?!



タタキはタタキですが、なんと鯵を鰹のたたき風に炙ってから薬味をそえ、たれをかけた「タタキ」になっていました。
私たちの頭の中には三枚におろしたあと、小さく切ってさらに、薬味をまぜて包丁の瀬で叩いた、いわゆる「鯵タタキ」しかなかったので、一瞬仰天。
私だけが関東からいって、鯵タタキのつもりで頼んだのかと思えば、おとなりのMさんは地元の方なのですから、香川でも鯵のタタキといえばあのタタキしかないのでは?と思うのです。


桃太郎の謎の伝説、謎の鯵タタキ。
なにやら印象深い『鬼無』の夜になりました。


(春の讃岐うどん&こんぴら歌舞伎行脚その4『うどんで綾川をめぐる』 へつづく)




『桃太郎神社』



より大きな地図で hatena diary用 を表示