仏教哲学者『井上円了』の故郷、越路の真宗大谷派『慈光寺』


立ち寄ってみたい処があり、長岡市内から越路へと向かいました。
越路といえば、思い浮かぶのはいまや「久保田」などの銘柄で有名になった朝日酒造ですが、もうひとつ、多くの人には知られていないが「哲学館」(後の東洋大学)設立の祖『井上円了』(いのうえ えんりょう)の生家である『慈光寺』がある場所です。


円了の生家に関してはWikipediaなどをみても、


「1858年2月、越後国長岡藩(現在は新潟県長岡市、合併前は新潟県三島郡越路町)にある真宗大谷派の慈光寺に生まれる。」

http://ja.wikipedia.org/wiki/井上円了


といった程度にしか触れられていません。
各地に学校を設立し、自らも各地を講演してあるき、また「妖怪研究の創始者」とも呼ばれる円了が、幼少から長岡を離れる前までを過ごした場所はどんなところだったのか、是非みておきたいと『慈光寺』という寺の名前だけをたよりに訪ねてみました。
越路方面からの道が信濃大橋を渡る手前で左折、信越線のガードをくぐりさらに300mほど北上すると、民家の間に高い石柱の門が見えます。


ここが参道のようです。
車をおける幅は充分あり、中にも車の姿が見えましたが、さすがにこの中に停めることは憚られ、まずは寺院の周囲をまわって裏手の空き地にとめて再びこの場所に戻ってきました。



参道半ばの左手に石碑が見えるので近寄ってみると「東洋大学々祖 文学博士 井上円了先生誕生の地」という石柱です。



奧にみえる門を入ると、正面に本堂。
ここで門を振り返ると、門の脇にコンクリートブロック製の囲いがあり、その中には本堂屋根の大棟の鬼瓦と思われるものが置かれていました。
高さは180cm程度、コンクリート製のようですが、良くみると何カ所かにひびが入っているのではないかという様子。
中越地震の際に被害をうけ、現在の鬼瓦と交換をしたものでしょうか。



本堂は雪の多い地域であることからも、屋根は急勾配で、現在は銅葺きとなっていました。




木部分はかなり年代を思わせるものですが、向拝の軒桁部分にある透かし彫りの龍の彫刻はかなり手がこんでいます。




反面、奧にみえる蛙股や斗供はシンプル。
木鼻は獅子のようです。




尾垂木の飾りは龍。




本堂の右手には住居や社務所などを兼ねた建物でしょうか、これも震災で壊れた建物を建て直しているようです。




本堂からみて右手前方には鐘楼がありました。




逆光で写真もとれないほど陽射しは眩しく、雪国では滅多にない快晴の青い空。
しかし、人気の全くない境内はなんとも寂しさを覚えます。
この付近は長岡市内と比べ、震源地にも近かったので、かなりの揺れで被害を受けた場所ですが、建物を取り壊した痕跡のような部分や当座のために貼ったような板など、まだ傷跡が癒えきれていない雰囲気でした。


どなたかお寺の方がいらっしゃれば、立ち寄らせていただいたということで、お話でもさせていただけたのでしょうが、本堂も右手の家屋も残念ながらシンと戸を閉ざされたままでした。



このあと、事前に調べて知っていた『井上円了』の碑が信濃川の河川敷の公園にあるというので、次に向かいました。
(『井上円了頌徳碑 』につづく)





真宗大谷派『慈光寺』


新潟県長岡市浦6436
0258-92-2165



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