ブルームーン


一月のうちに満月が二度ある時、満月を「ブルームーン」と呼んで、聞けば良いことのある兆なのだとか。
今年は1月1日の満月のあと、30日も満月の「ブルームーン」でしたが、3月30日の今日もまた、二度目の満月で「ブルームーン」。



桜の花の上に輝く「ブルームーン」。
吉兆とは言われても、なぜか桜の花の冷酷な狂気と相まって、息を潜めるクールな刺客のように思えるのは私だけでしょうか。


昨晩は花の時期というのに零度近い冷え込み、布団に入ってもどこからか押し寄せてくる寒さに、なぜかいつまでも震えて寝付くことができず明け方を迎えました。
震える寒さは内なる寂しさなのだと感じました。



願はくは花のもとにて春死なむ その如月(きさらぎ)の望月のころ

釈迦の命日であった、旧暦2月15日のころ、いまでいえば3月半ばから末ころの満月のころに逝きたいと願った西行ですが、西行の見た桜に満月は、もしかしたら今夜のような凜とした月ではなく、春のもやにかすんだ穏やかな月だったかもしれません。