『村上春樹、河合隼雄に会いに行く』読了 (その2)

その1の続き

とりとめなくなりそうなので先のエントリーを「その1」とした手前、これは「その2」。
だからといって、まとまった感想がかける訳ではないのだが・・・・



『第一夜---「物語」で人間はなにを癒すのか』、そして『第二夜---無意識を掘る"からだ"と"こころ"』の中では三部作の小説『ねじまき鳥クロニカル』の背景にも、かなり触れられている。ところが、私はまだこの小説を読んだ事がなかった。その部分に関しては残念ながら「ああ、なるほど..」と頷きながら読む事ができなかったが、そこから事実や現実を見直すためにノンフィクションを書こうとしたという経緯、そしてそれが「非小説」としての『アンダーグラウンド』や『約束された場所で』につながり行くことを事前に予習させていただいた。おそらくこの2つは、いきなり読むことで得られる以上のなにかがあるに違いない。


そして、この2つのノンフィクションを書き上げたあとに、村上春樹河合隼雄を訪ね、この本の元となった対談を行っている。私はまたこの本にもどり、そこではじめて村上春樹の真意を知ることになるかもしれない。



さて、対談の中では「紫式部」の「源氏物語」のことも触れられている。
紫式部があの物語を書けたという理由が「社会的システムからひとつ身を退いたところにいた」からだという背景もさることながら、時折でてくる怨霊といった超自然性について「現実の一部としてあった」それをごく普通に物語りに書いたということ、決して物語りの装置として書いたものではないと言っている点、これはとても興味深い。


河合隼雄はフットノートにこう書いている。

 日本の物語はまさしく「もの」について語っている。あるいは「もの」が語っているのだとさえ言える。このときの「もの」は西洋の物質とはまったく異なり、事物から人間のたましいまでも含む広範囲にわたる存在である。
 それはある意味における「現実」であり、昔の日本人は「現実」をそのまま語るのが物語と思ったかもしれない。しかし、それは今日的にみれば物語を展開させる「装置」を沢山もっているかのごとく見えるわけである。
(P144-45 フットノートより)


この事を念頭におくと、村上春樹の小説の中に時折でてくる、通常では理解できない現象や解けない謎もまた、「もの」をそのまま語ったという点ですんなり納得ができてしまいそうだ。


また二人はこうも言っている。

村上 でも、紫式部はなんのためにあれを書いたのでしょう。
河合 紫式部だって、やっぱり自分を癒すためでしょう、そう思いますね。
村上 というのは、あれだけ長いものを書くというからには、よほどの業を抱え
   込んでいたのでしょうか。
河合 そうそう、ものすごく業の深い女性だったろうと思います。
( P150-151 本文より)

自分を別な立場において「源氏物語」を読んでみようかと思う。


村上春樹、河合隼雄に会いにいく (新潮文庫)

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